たしなみ
     
No.59 2009年9月1日発行


  一日のたしなみには、あさつとめにかかさじ、とたしなむべし

 
  2009年法語カレンダー/今月の言葉/9月





◎【お斎】を考える・その四
 法事などの後に行う会食のことを「お斎」といいます。お斎とは、単なる食事会ではありません。最近ではむしろ積極的に、仏事に準ずる食事、仏事の一部としての食事、というべきだと思っています。
 そんな中で課題に感じている点があります。それは、だらしなく食べ残している現状です。「お斎」は食べ残してもいいものですか。いかんに決まっています。単なる食事会だと思うから、思い違いが起こります。料金は支払っている、食べるも残すもオレの自由だ、と。
 それが「お斎」である限り仏事の一部です。法要儀式に参詣し、その中で教えを聴聞し、そして参列者がみなで食事をする。食事は今さら言うまでもなく、いのちをいただくこと。だらしなく食べ残すなどは、以ての外です。それを思うにつけ「お斎」の現状は、参詣や聴聞に著しく背いている食事、言語道断なり!と言わざるを得ません。
 阿弥陀如来のはたらきは摂取不捨、迷いの衆生を摂取して捨てることがないのです。それに対して、私たちの「お斎」は、摂取せず捨て放題です。
 阿弥陀如来と私たちの「お斎」、比べて論ずること自体が茶番です。バカげています。しかし今、敢えて比べて焦る方がよいのかも知れません。それほどに私たちの現状は、道に外れています。食べ残しはいのちに背くことなのだ、ときつく肝に銘じたい思いでいるのです。●





◎切支丹殉教史考・その一 尾張三千人/ビックリこいた!
 JR尾張一宮駅から、岐阜方向に北へ旧国道二十二号線を約七百m歩いたあたりに、一宮カトリック教会があります。沿革としては一九五五(昭三〇)年開設、一九九八年に三代目の教会堂が完成し、現在に至っている、とのことです。
 さて、みなさんはお気づきでしたか? 二〇〇八年末に、教会前庭にある白亜のキリストさんの石像の横に、赤御影石の「切支丹殉教顕彰碑」が建てられました。
 何で一宮カトリック教会に切支丹殉教顕彰碑なんだろう? 切支丹殉教といえば、十六世紀末に始まるキリスト教徒への弾圧と処刑。それは、九州のできごとではなかったか? それと一宮と何か関係があるのだろうか? などと、訝しく思っておりました。
 ところが三ヶ月ほど前、なぜか急に興味が湧き、カメラを持ってこの切支丹殉教顕彰碑を見に行きました。ズバリ、またもや物好き病が出たのです。その脇に設置されているステンレス製の説明プレートの文章を読んでみてビックリ!
 一五八七(天正十五)年に、秀吉は「伴天連追放令」を出し、多くの信者が殉教しました。この尾張の地でも、徹底的な信者の取締まりが行われ、一六六〇年代に約三千人のキリスト教信者が殉教したと伝えられています。
 云々かんぬんと書いてあります。どう考えても約三千人というのは数が多過ぎる、これはきっと誇張に違いない、と思いあれこれ調べてみました。調べた結果、殉教者約三千人は、どうやら間違いのない、歴史的事実のようです。
 そして同時に、ボクには、こころに引っかかる点がありました。それは年代の奇妙な附合です一六六〇年代とは寛文年間です。寛文年間(一六六一〜一六七三年)延宝年間(一六七三〜一六八一年)は全国で寺院が急増した時期です。我が蓮西寺も寛文八(一六六八)年開基なのです。
恐らく何かしら関係があるのです。 約三千人の切支丹殉教と全国的な寺院の急増、不思議と一致している奇妙な附合。ここには何かある、と実感してしまいました。
 さて、これからしばらく、過去四百年間の切支丹殉教の歴史を尋ねてみようと思います。殉教していった彼らのこころに思いを馳せ、彼らの時代と、その時代背景を尋ねてみたいと思っているのです。●






第37回同朋大会講義録


「私の出遇った道」
その9 松原紗蓮師



○信じて待っていた親庵主さん
 私が一番グレていた7年間、信じて待っていた、と親庵主さんは教えてくれました。「お前はなあ、ちーちゃい頃は本当に素直でいい子だったもんな。ぐれてた頃は、思春期で道に迷うておるけれど、しかし、この子なら大丈夫、と信じて待っておったのだぞ」と、そう言ってくれました。
 それを聞いて私は、尼僧道場で学んだこと、仏さまのみ教えに出遇ったことなどを報告しつつ「どうしてこんなにすばらしいみ教えを私に聞かせてくれなかったのか?」と尋ねました。親庵主さんは「それはな、時が熟す、ということがある。人には時が熟した、まだ熟さぬということがあってな。お前が一番反発していたあの頃に、どれほど言うて聞かせても、み教えの言葉はお前の耳には届かんかったやろ。けれどもやがてお前には熟す時がやってくる。判る時がやってくる。わしゃそれを待っとったんや」と言いました。
 とはいえ、判るまでに決して短くはない七年間ですよ。それがいつ訪れるのか判らんのに、黙ってそれをずっと待ち続ける。いやー、本当にすごいことだと思いますよ。
 帰ってくるかも知れない、でも帰ってこん知れない、信じればこその親の思いですよね。本当に私は親のこころを知りませんでした。私はこの話を聞いた時どうしてこの人の深い思いに気づくことができなかったんだろうか、どうしてここまで、今日まで気づくことができなかったんだろうかと、本当に自分を情けなく思いました。もう本当に何とも言われん気持ちになりました。それに比べて親庵主さんのこころ、親ごころというものはなんと深いものなんだろうか、と思いましたね。信じればこその親ごころですよ。


○親ごころを超えた仏ごころ
 阿弥陀さまのこころも、それと同じようなこころなんですね。私が阿弥陀さまのことを思うその前から、私のことを摂め取って捨てない。たとえ、私が阿弥陀さまに背を向けようとも「二度と拝むもんか!」と邪見を起こそうとも、摂取不捨、摂め取って捨てないぞ、と言われるわけです。
 たとえ、親に食ってかかって背を向ける子であっても、たとえ、全く思い通りにならないどうしようもない子であっても、どこまで行っても親ごころ、この子を見捨てない、と言うこころですよ。摂め取って捨てない、捨てるわけにはいかない、というのが親ごころなんだなあ、と知らされました。いやこれはもう、親ごころを超えた仏ごころ、仏ごころだということに気づかせてもらった時、本当に手が合わさりました。「庵主さん、ごめん、ありがとう」と言いつつ手が合わさり、「なんまんだーぶなんまんだーぶ」とお念仏を申しました。


○お師匠さまとして出遇い直す
 そういう気づきがあって、私は親庵主さんに、改めて私のお師匠さまとなっていただきました。一度、親子という関係を超えて、お師匠さまとなっていただいた。もちろん親子ですが、親と子としての関係ではなく、お師匠さまと弟子との関係としてもう一度出遇い直す。今一度出遇い直すことになったのです。
 今、私が生きている道というものは、師匠が歩いた道でもあります。それはやがて、親鸞聖人、法然上人、お釈迦さま、そのずっと先には阿弥陀さままで繋がっていく一本道です。私はようやくその入り口のところに、やっとやっと立たせてもらった。私はそういう修行中の身、入り口にやっと立たせてもらった者でございます。


○「おかげさま」という学び
 最後になりましたが、私がこういう迷い迷った挙げ句の人生において一番学んだこと、それは「おかげさま」ということです。ありきたりかも知れないけれど「おかげさま」という言葉。よく見てみると、これおもしろいですよ。お陰さまですね、「陰」という字に、「お」と「さま」がついて「おかげさま」ですよ。
 尼僧道場の先生はこう教えて下さった。おかげさまという言葉はな、本当に意味が深い言葉だよ。「ありがたい」という言葉がありますね、アリ・ガタイ、ですよ。有ること難し、ということですね。人はね、何かしてもらった時に、目の前にいる相手に向かっては、「ああ、ありがとう、ありがとう」って、よく言いますよね。
 しかし、何かしてもらった時だけが有り難いじゃない。その時だけありがとうじゃないんだぞ。「おかげさま」は陰、陰の部分は私からは見えにくい部分です。私の目の前に見えるわけではない、だから陰。しかし私を助けている陰の部分がある。私はそういう部分に思いが至らないんです。私の思いの至らない陰の部分が本当はある。今まで気づかずに生きてきた、思い至らず、思いもよらない陰の部分。そこを「おかげさま」といって拝む。ありがたくいただく。「私の思いの至らない陰の部分に思いを凝らしてごらんなさい」と。


○仏さまの光に照らされて
 まさにその陰の部分が見えるということは、私の思いの至らない陰の部分に気づかされるということは、それは仏さまの光に照らされてこそ、ですよ。仏さまの光によって、照らされることによって、初めて陰の部分が見えてくる、ようやく陰の部分に気づかされる、ということなんですよね。「いいかね、今こそ、あなたの思いが至らなかった陰の部分に思いを凝らしてみてごらん、今までどれだけの有り難しをいただいてきたことか」ということなんです。
 さあどうでしょう。みなさんどうですか。そうだったなあ、まず私は人のいのちをいただいて生きている。
 こうして生まれてくることができたのは誰のおかげでしょうか。そりゃあ、お父ちゃんとお母ちゃんのおかげですよね。あれほどに人を恨んだ私がですよ、初めてお父ちゃんお母ちゃん、私を産んでくれて「本当にありがとう」「おかげさま」って思えるようになりました。
 そして育ててくださった親のおかげがありますよね。そして、思えば尼僧道場の先生方、さんざん迷惑かけたけど、本当に先生「おかげさま」って思います。
 また、さらには親戚、私が知らなかっただけで、親を支え続けてくれたのは実は親戚のおじちゃんおばちゃんたちだった。親戚の支えがあって親もやってこられたわけです。そしてもっといえばご近所さんもですよ、ずっと見守っていてくれましたね。
 そうです、水のおかげ、空気のおかげ、もろもろのおかげがあって、初めて私が成り立っている、ということなんです。これら全て本当に「おかげさま」ですよね。 担当・文責(神)―つづく―




後記


○恩徳讃いただくと背中から冷や汗が流れてくるわいの
 この言葉に、何か聞き覚えはありませんか? これは『法語カレンダー』平成二年十一月の表題です。 この頃別の探し物のため調べていて、ひょんなことから探し当てました。この言葉は、ある寺の法座にて松本梶丸師(石川県松任市)がお話しされた、近くに住んでいる田舎のおばあちゃん(山村志げりさん)の言葉が、この法語の本になっているのだそうです。
 その法座でのお話の中で紹介されたもともとの言葉は、
秋になるとあちこちのお寺で報恩講が勤まるやろ、お参りの後に皆で恩徳讃を歌うわね。その時、ウラの背中からいつも冷や汗と油汗が流れるがや。
なのだそうです。この言葉には、恩徳讃を正面から受けて立つ、何か毅然とした、実に厳しい姿勢が窺われます。
 「如来大悲の恩徳は/身を粉にしても報ずべし/師主知識の恩徳も/ほねをくだきても謝すべし」というこの言葉を、身とこころ、全身全霊で以て受け止めている姿勢が感じられます。すごいですねえ。
 このすごい姿は、今月の講義の、「おかげさま」という学び〜仏さまの光に照らされて、というあたりに、意味の上で結びついている、と思われます。
 おかげさまとは、阿弥陀さま、産みの親、育ての親、尼僧道場の先生方、親戚、ご近所さん、水のおかげ、空気のおかげ、もろもろのおかげ、すべてです、とのこと。
 おかげさまが、水や空気の話に留まるのではなく、阿弥陀さまにまで遡るべきおかげさまであることを思う時、おかげさまが、単なる恩寵主義でないことを思い知ります。一方通行のありがたいではないのです。その恩徳おかげさまは、相当に厳しいものであることを実感します。
 身を粉にしほねをくだきておかげさま
 じっくり考えれば考えるほど、背中から冷や汗と油汗が流れる思いがいたします。厳しいのです。 担当・文責(神)―つづく―



○膝痛養生記・その4 右膝痛・配達業症候群?
 「ご院さんも右膝か? 配達業の人の職業病やな。右ハンドル車の場合、右足一本に体重を載せて膝をねじって乗り降りする。だから配達業の人は右膝を痛める人が多いんや」とは、以前配達業で右膝を痛めていた、ある門徒の言葉。「ご院さんもお経の配達みたいなもんやでな」などと口の悪いことも。配達というほど頻繁ではないけれど、ボクは確かに車の乗り降りの回数は多い。実際に降車の時には右膝に負担を感じる。膝を痛めて、そして車の乗り降りのことを指摘されて、初めてその過酷さを自覚しました。思えばお粗末なお話です。●



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